テロリストと呼ばれる人たちは「自分は正しいことをしている」と思ってテロと呼ばれる行為をしている。
「悪いことをしてやろう」という悪意でやっているのではなく、こうすれば世界が良くなるんだと信じてやっている。
テロリストと呼ばれる人たちにとっては、対立する私たちの方が悪なのだ。
悪意が人を殺す、そして善意も人を殺す。人を殺すのは悪意だけではないのだ。
戦争で多くの人を殺して、より良い世界を築こうと思っていた人間は過去に何人もいる。
「善意で人を殺す」私は森達也さんの本でこのことを知りました。
私が良いと思ってやっていること、でもそれは誰かから見れば悪い行為に見えるかもしれない。
誰かが良かれと思ってやっていること、でもそれは私から見れば悪い行為に見えるかもしれない。
例えば、ニコニコ動画やYouTubeに著作権違反動画をアップロードしている人がいる。
アップロードしている人たちは完全な善意でやっている。多くの人に楽しんでもらおうという優しさで。
自分にとって楽しいものを、みんなにも教えてあげようという優しさで。
でもこの行為は企業側から見れば悪事だ。アップロード者の善意が企業側にとってみれば攻撃になってしまう。
例えば、満員電車の中、良かれと思って人に席を譲ろうと声をかける。
声をかけられた人は良かれと思って断る。
断られた方は傷つく。断った人は微塵も傷つけようなどとは思っていなくても。
例えば、Winnyの作者は良かれと思ってWinnyを作って公開した。
結果として著作権侵害やウイルスによる情報流出が起こり、裁判で“悪者”とされた。
例えば、テレビ局の番組制作者たちは良かれと思って下品な内容の番組を作る。
「これで多くの人に楽しんでもらおう」と。
「下品な番組の方が視聴率が上がるということは、視聴者は下品な番組を望んでいるに違いない」と。
しかしそういった番組に不快感を持つ人もまたいる。でも製作者たちは善意で作っている。
例えば、オウム真理教の信者は良かれと思ってサリンを地下鉄にまいた。
「こうすることが日本に必要なんだ」「こうすることで日本が良くなるんだ」と思い込んで。
例えば、親を殺された子供(以下、A)が、大人になってから良かれと思い親を殺した犯人を殺す。
「これで殺された自分の親は幸せになるだろう」と思い込んで。
でも、その殺された犯人の家族や関係者は、Aを恨み、良かれと思ってAを殺す。そうして殺人の連鎖が生まれる。
例えば、ひぐらしのなく頃にに登場する鷹野三四は良かれと思って雛見沢村の人を殺そうとする。
「こうすることで、祖父が書いた論文が評価され、祖父は喜んでくれる」と思いこんで。
このことを分かりやすく説明しているのがアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」だと思う。
このアニメの主人公ルルーシュが率いる黒の騎士団というグループは世間からテロリスト集団だと思われている。
しかしルルーシュの心の中にあるのは自分の妹が安心して暮らせる世界を作りたいという善意なのだ。
想像もできないほど酷い行為をしてしまう人がいる。でもその人の心には悪意ではなく善意があったりするのだ。
誰かのための善意で人は人を殺してきた。
「家族を守るため」「仲間を守るため」という理由で戦争に行き、過去に人は数多くの人を殺してきた。
善意とは特定の誰か(例えば家族や友人、同じ趣味・嗜好の人など)に向けられたものであるため、
そこに該当しない人から見たら、迷惑な善意となってしまうことが多々ある。
自分にとって迷惑な行為をする人がいても、反射的に怒るのではなく
良かれと思い善意でやっている行為なのかもしれない、と冷静な目で相手を見て欲しい。
それを自覚した上で、迷惑な行為をする相手と向き合って今後のことを考えて欲しい。
ぜひアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」を見て欲しい。そしてこのことについて考えて欲しい。
(HemoHemo)
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2008.04.20(Sun)22:14 |
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