殺人事件によるアニメ「School Days」の放送中止は、そのアニメを見ていない私にとっては
対岸の火事でした。
ですが、ひぐらしのなく頃に解までもが放送中止となった今、私にとっても無関係の話ではなくなってしまいました。
「遠くの地域で山火事が起こっています」というニュースを見ながら、ゴロ寝してポテトチップスを食べていたら
自分の家の裏まで山火事が広がっていて、慌てて消火器の使い方も分からずに振り回しているような気分です。
でも、今は不思議と気分が落ち込んではいません。むしろ高揚感さえあります。
放送中止という問題が発生して、それを解決したいと望み、相手に納得してもらえる言葉を探しているこの瞬間、
普段は使わずに寝かせている脳がフル回転しているので、この状況を楽しいとさえ感じるのだと思います。
基本的には問題が生まれると「また余計なものが増えてしまったぁ」と頭を抱え込むタイプなのですが、
最近はなぜか問題が生まれるとそれを解決することが楽しいと思い落ち込まないようになりました。
今回の放送休止問題について、もし深夜アニメのことを知らず興味すら持っていなかったら、
「少しでも危険なアニメなんて放送中止にすればいいんだ」なんていう世の中の意見に同意していたと思います。
でも現在の私は違います。2006年の夏を境に深夜アニメの世界に飛び込んで、アニメが好きな人間として、
放送が中止されることに反対し、どうすれば大衆に納得してもらえるかを考える側の人間になっているのです。
そこまでしてアニメを守ろうとする背景には「飛び込んでみると見えてくる新しい世界がある」という、
アニメを見るようになって知った1つの事実があるからです。
ひぐらしのなく頃にを見て、「ただの残虐な内容のアニメだ。けしからんっ!」と思う人もいると思います。
それはそれで1つの素直な感想です。ただ、同じ作品を見ても私のようにそうは思わない人もまたいるのです。
それなのに「けしからん!」という側の意見だけが反映されてしまう現状を何とか打開したいのです。
ちょっとした疑問が1つ。アニメ内容に似ている事件が起こったからアニメ放送を中止にすることに賛成する人は、
オウム真理教という新興宗教による事件が起こった時に新興宗教(又は宗教)を無くすべきと思ったのかな?
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2007.09.21(Fri)03:15 |
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事件が起こるとマスコミなどが言う「○○○というアニメのせいでこの事件が起きたんだ!」というセリフ。
でもここで言われる○○○というアニメは“原因”ではなく“引き金”の方なのではないでしょうか。
犯人が事件を起こす時(またはその直前)に他の物を見れていればそれが引き金になっていたかもしれない訳で、
引き金となってしまったアニメそのものには罪も問題もないと思うのですよ。
重要なのは引き金が何か?ではなく、原因が何か?だと思うのです。
日頃の家庭環境や、いじめなどの人間関係がその原因の部分の答えになるのではないのでしょうか。
【例】(これはフィクションです)
とある少年がいました。彼は以前から同級生のAを殺したいほど憎んでいました。
毎日、放課後に呼び出され、Aとその仲間たちに金銭を奪われたり、暴力などのいじめを受けていたのです。
ある日の夜、夜更かししていた少年は、ネットで人気があると話題のアニメ番組を見ました。
番組が後半にさしかかった頃、主人公の少女は美人局で父親を騙している女性を鉈で殺害してしまいました。
その一部始終を見ていた少年は思いついてしまったのです。あの憎いAをこの世界から消す方法を。
そして少年は実行してしまったのです。
この場合、原因はいじめ、引き金は視聴したアニメ、となるのではないでしょうか。
この惨劇が起こらないようにするために必要なことは「いじめから子供を守るための対策を用意すること」であって、
「アニメを放送中止にすること」ではないと思うのです。
問題なのは引き金ではなく原因にある、と言いたくて出した例ですが、説明できていますかね?
ひぐらしのなく頃に解 放送中止のお知らせ
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2007.09.24(Mon)01:32 |
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土屋文明(※)、堀江貴文、森達也、西村博之、伊集院光
ヒーローという言葉を“目標にしたい好きな人”と解釈して以上の5名を挙げました。
彼らに共通して感じるのは、周囲に流されず、周囲のフィルターを通さずに物事を見る能力を持っているという点です。
おかしいと感じれば、周囲とは異なる意見でもそれを表に出し、自分の考えをしっかりと伝えます。
それでいて、周囲の意見を参考にし、自分の行動に修正が必要だと分かればすぐに変更をする素早い行動力も持っています。
ただの間違いだと分かってもそれを続けてしまう頑固親父とは全く違う存在なのです。
例えばテレビが何かをワッショイして、まるで日本国民全員が夢中になっているかのような伝え方をしても、
つまらないと感じれば正直に、彼らはたった一言「これのどこが面白いの?」とポーカーフェイスで言ってくれます。
もし自分の発言で厄介な敵を作ってしまう可能性があっても、そこで堂々と言いたいことを言う人だと思います。
代わりになる人が存在せず、真似しようとしても真似できないというところも共通しています。
本音が言える人、自分の代わりになる人が存在しない人、それが私の憧れるヒーローの最低条件です。
※代々木ゼミナールの現役日本史講師。早口でのスピードがある授業と毒舌と下ネタで人気の講師。
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2007.09.26(Wed)01:54 |
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